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くまのプーさん

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「くまのプーさん」雑学ノート

1926年に発表されたA・A・ミルンの児童小説です。
クマのぬいぐるみである「プー」さんと、森の仲間たちとの日常を描いています。
挿絵はE.H.シェパードが手がけている。

ここでは「くまのプーさん」についての「へー!」「なるほどー!」な
雑学をご紹介します!


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雑学その1:くまのプーさんのプロフィールを教えて!

100エーカーの森の奥深くに住んでいる、
食いしん坊でいつもおなかが鳴っている黄色いクマさん。
クリストファー・ロビンや
ティガー、ピグレット、イーヨー、ルー、ラビット、オウルなどの仲間たちと
大好きなはちみつを求めて旅に出たり
楽しい毎日を過ごしています。


雑学その2:くまのプーさんの原作者について教えて!

原作はアラン・アレクサンダー・ミルン(Alan Alexander Milne)です。

1882年1月18日にロンドンで生まれました。
イギリスの児童文学作家でファンタジー作家、
推理小説や詩や舞台劇の脚本も書きました。
代表作は『くまのプーさん』シリーズです。
パブリックスクールのウェストミンスター・スクール、
ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジで学び、
学生時代から学校内の雑誌に詩や随筆を投稿し、作家を志しました。
大学在学中からイギリスの有名な雑誌『パンチ』に投稿し、編集助手になりました。
その後作家として独立することになります。


雑学その3:くまのプーさんが誕生したいきさつを教えて!

『クマのプーさん』は1926年、
作者のA・A・ミルンが40代のときに刊行されたんだ。

ミルンは有名な風刺雑誌『パンチ』の副編集長を務めたり、
同誌で活躍するユーモア作家としてのキャリアを経ており、
1924年にはじめて子供向けの著作として手がけた童謡集
『ぼくたちがとてもちいさかったころ』(When We Were Very Young)も
高い評価を受けていたんだ。

この童謡集は当時3歳だった自分の息子
クリストファー・ロビン・ミルンのためにつくった童謡を集めたもので、
のちに「プーさん」となる彼のテディベアも
「エドワード・ベア」の名称で
「テディ・ベア」という詩のなかで姿を見せているんだよ。

クリストファーがもう少し成長すると、
ミルンは息子のために彼の持つぬいぐるみたちが活躍する物語を構想して、
これが『クマのプーさん』のかたちをとったんだ。


雑学その4:くまのプーさんの名前の語源って何なの?

ミルン家のテディベアは、
もともとベア、テディ、エドワード・ベア、ビッグ・ベアなど
さまざまな呼ばれ方がされていたんだけれど、
これがさらに「ウィニー・ザ・プー」という名前を持つに至ったいきさつは
本作品の序文に書かれているよ。

まず「ウィニー」は、
当時ロンドン動物園で公開され人気を集めていた雌のクロクマ
(ただし序文では「ホッキョクグマ」と書かれているんだ)の
「ウィニー」にちなんでいるんだ。

もともとは女性の名前で、
物語の冒頭では語り手がクリストファー・ロビンに
“But I thought he was a boy?” (彼は男の子だと思ってたんだけど)と
問いかけるシーンがあるよ。

「プー」のほうは、
もともとはミルン親子がたびたび訪れていた
サセックス州ポーリングにいた白鳥につけられていた名前だったんだ。
この白鳥の「プー」も
『ぼくたちがとても小さかったころ』の中の詩「かがみ」に
その名前で登場しているよ。


雑学その5:くまのプーさんの舞台ってどこなの?

物語の舞台は、
サセックス州に実在する田園地帯アッシュダウンの森を
モデルにして描かれているんだ。

ミルンは1924年夏、息子が4歳のときに、
この地の北のハートフィールド近郊に建てられていた
古農家コッチフォード・ファームを買い取って別荘にしたんだ。

そして改修が済んだ1925年以降、
毎週末や復活祭、夏季休暇などのたびに妻子と乳母の4人でこの地を訪れて、
クリストファーはいつもぬいぐるみたちを連れてきていたんだよ。

作品が有名になって以降、アッシュダウンの森は
『プーさん』の愛読者が訪れて
物語を追体験する観光地となっているんだ。


雑学その6:くまのプーさんの絵について教えて!

『クマのプーさん』シリーズの挿絵は、
ミルンがかつて働いていた『パンチ』の画家E・H・シェパードが手がけているんだ。
シェパードが『パンチ』で絵を描くようになったのは
ミルンが『パンチ』を抜けてからなんだ。

最初にシェパードがミルンの挿絵を手がけたのは、
『ぼくたちがとてもちいさかったころ』の出版に先立って、
そのうちの数編が『パンチ』に掲載されたときで、
この際にシェパードが挿絵画家として抜擢されることになったんだ。

ミルン自身はもっと名のある画家に頼みたいと思っていたため、
当初はこの決定に不満を持っていたんだけど、
出来上がった挿絵を見て、
自分の作品に挿絵を描いて成功する者は
シェパードをおいて他にないと確信したそうだよ。

実際シェパードの挿絵は、
『プーさん』の物語世界と非常に合ったものとして、
現在では『不思議の国のアリス』のために描かれた
ジョン・テニエルの挿絵と並ぶ評価を受けているんだ。


雑学その7:くまのプーさんの絵が出来上がるまで

『クマのプーさん』出版の際には、シェパードはミルンの家に招かれて、
キャラクターのモデルとなったぬいぐるみたちを
さまざまな角度から丁寧にスケッチして挿絵の準備をしているんだよ。

ただし「プー」だけは、
ミルン家のテディベアのスケッチも取っていたものの、
結局描きなれていた自分の息子グレアム所有の
よりずんぐりした体型のテディベア「グロウラー(うなりや)・ベア」のほうを
モデルにして描くことになったんだ。

「グロウラー」はおそらくシュタイフ社製で、
『ぼくたちがまだとてもちいさかったころ』の挿絵のほか、
それ以前のシェパードによる『パンチ』寄稿作品にも何度か登場しているよ

シェパードはまたミルンの別荘
コッチフォード・ファームにも家族ぐるみで招かれ、
この地を散策して物語の舞台のスケッチを取ったんだ。

これらのシェパードのスケッチの大部分は、
1969年にロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館に寄贈されているんだよ。

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