プーマは、ドイツのバイエルン州
ミッテルフランケン・ヘルツォーゲンアウラハを本拠地としている
多くのスポーツ用品の製造や販売を行っている企業です。
ここでは「プーマ(PUMA)」についての「へー!」「なるほどー!」な
雑学をご紹介します!
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プーマの創設者であるルドルフ・ダスラーは、
製職人として働く父と、小さな洗濯屋を営む母の次男として生まれました。
1924年、兄ルドルフは弟アドルフ(彼の愛称はアディでした)・ダスラーが設立した
製靴工場に参加するため地元に戻りました。
彼らは新しい事業を行うにあたって「ダスラー兄弟製靴工場」という名前を付けました。
兄弟は彼らの母が使っていた洗濯室でこの事業を開始しました。
当時、町の電力供給は不安定で心もとなかったので、
兄弟はしばしば据え付けの自転車のペダルを必死で漕いで
機材に必要な電力を発電、機械を動かしたそうです。
時代は第二次世界大戦中。
兄弟はふたりともナチ党に入党しましたが、
兄のルドルフの方が少し党に近い立場をとったんだそうです。
兄弟の間には亀裂が生じ、1943年の連合国の爆撃の際に限界となりました。
防空壕の中で弟のアディが言い放った
「ほら、またあのいまいましいろくでなしどもだ」という発言は
実際は連合軍の爆撃機に対して言われたものだったのですが、
それを兄のルドルフは自分と家族に向けられたものだと考えたそうです。
ルドルフがアメリカ軍の兵士に逮捕されたときも、
彼は弟が自分を密告したのだと確信していました。
兄弟は1948年4月に袂を分かちました。
ダスラー兄弟製靴工場の資産は工場をはじめ、
設備、特許など兄弟間ですべて細かく分割されました。
ルドルフはアウラハ川の対岸に
プーマ・シューファブリック・ルドルフ・ダスラーという
会社をつくりました。
そして弟のアドルフは
社名に自身の愛称(Adi)と苗字の最初の3文字(Das)を合わせて
アディダスという名前を付けたのでした。
世界中のサッカー選手達に愛される定番ブランドである「PUMA」。
PUMAを愛用している有名なサッカー選手には
ペレ、ヨハン・クライフ、ディエゴ・マラドーナ、ローター・マテウスなど、
世界のトッププレイヤー達がいます。
日本では、三浦知良や、プーマのスパイクシューズを使用している選手は多いです。
現在では、テレビCMにペレが起用されています。
「パラメヒコ」というブランドです。
日本専売のモデルであるパラメヒコは
サッカーが大好きな中学生からプロの選手に至るまで愛用者が多く、
1986年に発売されてから、20年以上たった現在でも、
大幅なモデルチェンジをする事なく多くの選手に選ばれ続けています。
アディダスの「コパ・ムンディアル」の様に
「パラメヒコ」が好きなファンが引き続いて
同じモデルを使用し続ける事が多い様ですね。
サッカー商品に関しては世界的に「love=football」が
キャッチコピーとして使われています。
ロゴではloveはハートマーク、
footballはサッカーボールで表現されています。